今日のおかずは炊き込みご飯

主婦の子育てと日常

子宮筋腫の摘出手術を受けたレポート⑤

2016年4月、直径10cmと大きく育ってしまった子宮筋腫を、開腹手術によって摘出しました。
初めての入院、初めての手術で怖いことや戸惑うことがありました。
同じように子宮筋腫がある人の参考になればと思って、レポートを書いてみます。
(当時書いていた日記を元にしています)

他の話はこちらから↓

今回は手術が終わって麻酔から目が覚めるところです。

手術終了

部屋について目を覚ます

手術終わりましたよ、と声がかけられた。
それで、ハッと目覚める。
電車で居眠りをしていて、駅員さんに声をかけられたときのようだ。
恐れていた、麻酔が途中で切れるとか、そんな事件は起こらなかったようだ。
しかし不思議である。声掛けだけで意識が戻るレベルの麻酔とは。よく途中で切れないなあ、絶妙だと思った。

手術しても全然痛みを感じない意識レベルなのに、声をかけられた刺激だけで目が覚めるってすごいなと思いました。不思議。

しかし、麻酔はそう簡単に切れない。眠い感じに似ているが、それよりひどい。
お部屋につきましたよと声がかかる。
何とか視野を巡らせると、確かに部屋に戻ってきたようだ。母と夫が私を見つめているのが分かる。
おなかが痛い。それだけでなくどこもかしこも痛い。喉が渇いた。トイレに行きたい。寒い。酸素マスクが邪魔。
不快なことだらけだ。しかしそれがうまく説明できない。まだ覚醒していない。
脳内にはまだ、濃い靄がかかっている。
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まずトイレを訴えた。膀胱に管があって勝手に排出されますよ、と看護師に一蹴された。しかしそんな気がしない。膀胱はぱんぱんで、意思の力で辛うじてとどまっている感覚である。勝手に排出される気がしない。そう訴えたかったが、そこまで舌が回らなかったし、回ったとしても管が通っているならただの気のせいだと諭されるだけだ。
喉の渇きを訴えると、まだ水を飲んではいけないと言われた。

たぶんですけど、水を嚥下できるほど意識が覚醒していないという判断だったんだと思います。酸素マスクからシューシュー風が出ていて、そのせいでめちゃくちゃ喉が渇きました。もう飲めるから!大丈夫だから!と訴えたかったけれど、その気力はありませんでした(ということは、やっぱり水を飲めるレベルではなかったのでしょう)

なかなか麻酔から覚めない

何度も緩慢な覚醒と眠りの波が来た。定期的に看護師が来て、その度に指先で何かを計測された。

この指先での計測は、入院中何度もありました。たぶん血中の酸素量を測っているっぽい?で、数字は98~100くらいが良さそうな感じ?最後まで説明はなかったので、よく分かりませんでした(聞けば良かった…)

どのくらい時間が経ったのだろうか、振り返ってみればおそらく10分程度な気がするが、その時は数時間に感じた。パチッと覚醒した。麻酔から今覚めた、というのが分かった。まだ眠いが、あの靄は晴れた。
寒いのか、手が震えた。母に、その震えと寒さを看護師に訴えるか聞かれたが、必要ないと応えた。この震えは、熱が出る前の震えの気がする。寒さを訴えて温められても、後で熱が出た時にたまらない。

とにかく水が飲みたい!

もう一度、看護師に喉の渇きを訴えたが、まだ飲んではいけないと言われた。しつこく食い下がると、含むだけなら良いと言われた。

よっしゃー!!

母に何度も含ませてもらった。何度含んでも口が渇く。母がいてくれてよかった。
ひどく口が渇く原因は、酸素マスクにある。シューシュー風が出ているのである。渇くはずだ。
この憎き酸素マスクを取りたいと看護師に訴えたが、ダメと言われた。おそらくまだ覚醒していないという判断なのだろう。さっき、麻酔から覚めた感覚があったと訴えたかったが、そういう戦う気力はわいてこなかった。

今思えば、単に指先で測る数値が、基準に達していなかったんだと思います。

今後、水を飲む許可が出た時に使うストローを今から買っておいてほしかったので、それを夫に頼んだ。

この時使っていたカップは、蓋つきカップで、蓋の部分にストロー用の穴が空いているものでした。しかし、肝心のストローがなかった……!

少ししてから夫が戻ってきて、コップのふたにストローを取り付けている気配がした。入るかな、どうかなという母との会話が聞こえる。
二人の会話から察するに、かなり探したらしい。1階にある普通の売店にはなくて、隣の介護用品売り場で見つけたと言っている。あんな入りづらい店に、初めての店に行くのを躊躇する夫が一人で行ったのか。

普通の売店は普通にコンビニのようなんだけれど、介護用品売り場は、薄暗く、お客さんは誰もいないし、店員さんもいる気配がないしで、ものすごく入りづらい店構えだったのです。しかも夫は、初めてのお店に入るとき、私に扉を開けさせ、後ろからおずおずとのぞくような輩なのです。その夫が、勇気を振り絞って、ものすごく入りづらいお店に入ったのを想像したら、とても嬉しく思いました。

ありがとう、あのお店に行ったの、大変だったねと言いたかったが、そのパワーがわいてこなかったので心で言った。

やっと覚醒

何度か脈拍や酸素量を計測され、やっと酸素マスクを外すことができた。水を飲む許可も得た。
何度も水を飲んだ。
そういえばいつの間にか尿意はなくなっていた。きっとスムーズに排出されたのだろう。
寒さはやはり、体のほてりに変わった。たぶん発熱している。布団が暑かった。足を出して少しすっきりした。
しかし足には、血栓を防ぐためにマッサージ器が巻き付けられていたので、そんなにも涼しくもなかった。

痛みとの格闘

体の痛みが大変だった。
背中やおしりが痛い。これは姿勢を変えていないせいだろう。
おなかが痛い。これは切ったからだ。
左手の点滴のところが、腫れたような痛みがある。それは、湯たんぽを置いてもらったら少し和らいだ。
背中とおしりが痛くて、姿勢を変えたいが変えられない。仰向けになったまま、少しも動けない。点滴をしていない右手と、首をわずかに動かせるだけだ。非常につらかった。
傷の痛みは、背中のチューブを通して定期的に痛み止めを送られていると説明を受けた。しかし、痛い。痛いときはこのボタンを押すと追加で注入されると説明を受け、ナースコールのようなスイッチを握らされた。
押すと、背中に冷たい液体がスーッと通るのが分かる。
痛みが緩和されたかといえば、これはもう、気持ちの問題だった。

つまり、あまり効き目を感じることはできませんでしたw

早く時間が過ぎてほしいので、少しでも眠ろうとする。しかし、眠っても、あらゆる不快感ですぐ目が覚めてしまう。
目を覚まして、時計を見ると5分しか経っていない。また眠って、目を覚まして、またたった5分。これでは永遠に日が暮れない。痛みも永遠に晴れない。
早く明日になってほしいのに、日が暮れないのではいけない。
母と夫が、身じろぎもせず自分を見守っているのが気配で分かる。
ありがとう、ごめんね、退屈じゃない?と思ったが、自分のことで精いっぱいで、声をかけることができなかった。

やがて周囲が暗くなってきた。やっと夕方か。しかしこの時計の針の進みで夜を迎えるとなると、とんでもなく夜が長いことになる。不安だった。